宿直室で布団を敷き横になる。薬の苦みが口の中に残っていた。時計の針の音だけが静かになった部屋に響いている。
2課はいつも騒々しい場所だと思っていたが、出動後がこれほどまでに静かになるとは思ってもいなかった。
海風が容赦なく薄いトタンの壁面に当たり、すきま風の音が悲しい声のように聞こえる。
遊馬は子どもの頃から家には人が居なかった。
風邪ぐらいじゃ看病される事も無く、勝手に薬を飲んで寝ていただけ。
今の静けさは、それを思い出させる。
慣れているはずの静寂。ただ、この2課へ配属されてからは、それは一変していた。
何処を取っても静かな場所ないこの埋め立て地。
それに慣れていなかった遊馬は、2課に来てから
色々な意味で干渉される面倒臭さを疎ましく思っていた。
『自分の事は自分が一番判ってる』
『イチイチ指図するな』
『今までだって一人でやって来た。
一人で出来る事は手を出すな』
そんな自分の調子を狂わせる環境。
そしてそれ以上に、最近は仕事に対する焦りがあった。
指揮者として半年。
自分なりに勉強もしているし、ちゃんと成果も出せてはいる。野明とのコンビネーションも悪くは無い。
しかしどうしても気になってしまうが、非の打ち所の無い熊耳の指揮だ。他人と比較するのは馬鹿らしいと判っているのだが、あまりの有能な彼女に歯噛みしてしまう事がある。
2号機コンビはバックアップは優秀だがフォアードが最悪で
指揮者形無しの行動をするがために、成果が得られない。
情けない事に、遊馬自身それにほっとしている所もあった。
これが、熊耳と野明のコンビだったらと考えると、自分の指揮者として能力に疑問を感じてしまうのだった。
その差を埋めるべく、ここの所、自分に負荷をかけている事も確かで熱ぐらいで仕事を休む気にもならなかった。
「何でこんなに躍起になってんだか…。」
ポツリと呟くと、海風がより一層強く鳴った。
先程後藤に言われた言葉が頭を巡る
『一人の体調不良で万一の事がある職場なのよココは』
いつもの口調で言われたが、遊馬の責任の無さを咎めていたのは確かだった。
『自分を大切に出来なければ、他の人を大切には出来ないんだぞ』
そんな言葉を思い出した。
いつ誰に言われたのだろう。
思い出せない遊馬は目を瞑り記憶を遡ってみたが、その思考は徐々に眠りへと吸い込まれていった。
ふと遊馬が目覚めると、まだ棟内は静かだった。
時計を確認するが出動から3時間以上経っていた。結構時間がかかっているので多分面倒な内容なのだろう。この感じだと夕方になっても戻れるかあやしい。
もう一眠りしようかと思った時、宿直室の扉をノックする音が聞こえた。
「どうぞ」
扉が開かれるとシゲが入って来た。
「遊馬ちゃん起きてたんだ。大丈夫なの?」
差し入れと言ってスポーツドリンクを遊馬の元へ転がした。
「ありがと…大丈夫だよ。ただの風邪だし」
「風邪を侮っちゃいけませんよ〜。命に関わる事だってあるんだからさぁ。」
「んな、オーバーな」
シゲは上がり口に腰をかける。
「いやホントに。で…後藤隊長から電話があってね。
定時で上がって整備班の誰かに病院まで
送ってもらえってさ。」
「まだあっちは時間かかりそうなの?」
「なんだかね〜。結構厄介な事故現場らしくて…って
それより、自分の体を治すのが先だよ。」
咎めるでも無いシゲの口調は遊馬を素直にさせる。
「面目ないです。」
もそりと、起き上がり乾いた喉を差し入れで潤す。
「遊馬ちゃんさぁ。一人で頑張り過ぎなんじゃない?」
不意にシゲが聞いてきた。
「別に頑張ってなんかないよ。」
遊馬は笑いながら返答する。
「そうなの?俺からはスゴく頑張ってるように見えたけど…。
もう少しさ、仲間を頼りにしてみたら?
そんな姿見ちゃうとさ…
さみしくないのかなって思っちゃうよ。」
「さみしい?」
「何か皆おせっかい焼きじゃない?
まぁ、俺も含めてだけどね。
遊馬ちゃんはどことなく自分の殻に閉じこもってるって言うか…。
皆との関わりを拒否するような所ある気がしてね。
…逆に、俺達の方がさみしいのかなぁ。」
宿直室が静かになる。時計の針の音だけが響く。
確かに、遊馬は人と距離を置くようにしている。それは自分が冷静でいられるためだし今まで深く関わりを持って良い思いをした事もあまりなかった。
それは、実家の絡みもあるのかもしれないが、出来れば実家とは関係無い所で自由にやっていたかった。その結論からでた自分の生き方だ。シゲの言う通り殻に閉じこもっているのも自分でも判っているし、斜めから見ている自分はポーズと言うより、自分を守る為の壁と言っても良かった。だが、この場所が陸の孤島だからだろうか、篠原と言う名前が近過ぎるくせに、自分とは違う何かに思える時さえある。暫く考え込んでしまった遊馬に対しシゲも気を使ってか、笑いながら言った。
「ごめんねぇ〜。
そんな話するつもりじゃなかったんだけど…」
もう少し寝た方が良いと言って部屋を出て行こうとするシゲに
「…シゲさんの言う通りだよ。」
遊馬が本音を漏らす。
「俺さぁ。正直ココの空気が苦手。
人の事を考え過ぎっていうか、はっきり言って鬱陶しい。
ズカズカ人の中に入ってくるような感じで…。」
遊馬は手の中のスポーツドリンクを見つめる。
液体が小さな波を作ってボトルの中で揺れていた。
「まぁねぇ…。
だけどそこがココの連中の良い所でもあると思うんだよね。
篠原って名前聞く割には、嫌な思い少ないんじゃない?
篠原じゃなくて「遊馬」をしっかり見てくれてるでしょ。
ここの連中〜。」
遊馬が弾かれたようにシゲを見つめる。
「おやっさんにどやされちゃうから、もう行くよ〜。
また飲みにでも…ねっ!」
シゲは笑顔で宿直室を出て行った。
瞼を閉じると、2課へ配属されてからの事を振り返ってみる。
「篠原の御曹司」と言われる事は何度かあったし、相棒の野明だって遠慮なく自分と「篠原」をくっつけて来る。だけど、それだからといって何かが変わる訳じゃなくて、篠原遊馬という人間を見てくれていた。
「俺が一番固執してたのか…」
篠原の人間だから、レイバーの事、それを指揮する力…。負けられない。
そんな気持ちは持ちたく無いと思っていたのに、自分自身がそう考えていたなんて、ましてや仲間が手を差し伸べているにもかかわらず、それらを振り払う行為をして来た。
「俺って…くだらないな…」
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最初の遊馬の捻くれ具合を考えたら…。
こんな事も考えていたのかも…。
ここには全く繋がらないけど、例の事件はやはり、実家だったり若かったり…。
遊馬が30歳だったら、受け入れたかもしれないのにとか思っちゃったり。
若い時の潔癖って判るような気もする。若く無くたって、潔癖な部分ってあるけど
経験で受け入れちゃうって事もあるようになる。それも事実。
再読してあの事件を読んだ時に、私はもう第1小隊よりな人間になってしまったなぁと思ったのでした。
「げほげほげほ…ぶわぁくしょん!!!ずずっ!!」
その男は朝から不調だった。
「遊馬大丈夫なの?」
心配げに様子をうかがって来る野明。
「遊馬さん、お薬用意しましょうか?」
大きな見た目とは裏腹に、細かな気遣いを見せてくれるひろみ。
「風邪薬はノンカフェインの栄養ドリンク剤と一緒に飲むと効きますよ」
細身なクスリマスター進士はきらりとメガネを光らせる。
「そんなもん気合いで治せんでどうするぅ!
それよりもカゼをひく段階で自己管理がなっとらんのだ!!」
カゼとは一切縁の無い、むしろ菌すら逃げて行く太田。
「篠原君。カゼをひいている人がマスクをするのは最低限のエチケットよ」
厳しくも、遊馬の机の上にマスクを置く学級委員長の熊耳。
遊馬は、机の上に置かれたマスクをする。
確かに熊耳の言う通りだ。自分の咳やくしゃみで他の誰かにうつす事は十分にあるのだ。
周りの心配はありがたいが、自分の体だ自分が一番判っている。
『うるさいんだよ』
遊馬は書類のコピーをとるために、席を立ち上がる。
コピー機に少し寄りかかるようにしていると、体が楽だった。
『あ…。やべぇな。熱でてきたかも…』
そう思いながらも何とか午前中が終わって行った。
昼食時間になっても食欲が無かったが、なにも食べないのも体の為にはならないし、食べなければまた周りに余計な気を使わせてしまう。そしてそれは何よりも面倒だった。
遊馬の昼ご飯は上海亭のあんかけチャーハン。
レンゲを持ち上げようとするが、それを口に運ぶ気にはなれない。
しかし、周囲の目もある事を考えてしまうと食べざるおえない。
『明日の朝イチ病院に行こう』
そう判断して今日を何とかやり過ごそうと考えていた。
茶坊主の野明が少し遅れてお茶を持って来る。
既に食べ終わってしまっている太田には注意されていた。
「へへ…すっかり忘れてた」
ぺろりと舌を出しながら、遊馬へお茶を手渡した。
「苦手な書類仕事に集中するのは判るんだけどさぁ
ちゃんとしろよ〜」
渡されたお茶をずずっと啜ると、遊馬の額に冷たい手が添えられた。
咄嗟にその手を掴んで額から離す。
お茶を手渡した際にほんのりふれた指先の遊馬の手が
異常に熱かった事に気付いた野明の対応だった。
「遊馬!!!!熱あるじゃないか!!!」
野明の大きな声が食堂に響く。
遊馬はちっと舌打ちして嫌顔をした。そして平静を装って、あんかけチャーハンを頬張る。他の仲間達が遊馬へと視線が集中し、「今すぐ病院へ行け」「宿直室で休んだ方がいい」「薬用意します」と口々に騒ぎ出す。
遊馬は苦笑いしながら
「大丈夫だって、微熱だよ。微熱」
味のしないチャーハンをせっせと口に運んだ。
あやしげな視線を向けながらも、とりあえず食欲のある遊馬を見て一同は大人しくなったが、隣に腰を下ろした野明は不機嫌極まりなかった。
「微熱???微熱どころじゃないよ」
「お前ウルサいんだよ」
「ぶっ倒れても知らないからね!!」
「倒れねーし。ほっといてくれていい」
「なんだよそれ…。そんなんで出動があったりして対応できるわけ?」
二人の言い争いが段々と大声になってくる。
「対応出来るに……」
遊馬が怒りのあまり席を立ち上がった瞬間、2課棟内に出動サイレンが鳴り響いた。
遊馬が指揮者に乗り込もうとした時だった
「おーい篠原」
後藤が手招きして遊馬を呼んだ。
「何ですか?隊長」
後藤の元へ駆け寄ると後藤の手が遊馬の額へ当たる。
うんうんと一人頷いている後藤の姿。
「お前…とりあえず宿直室で休んでろ」
そう言うと後藤は遊馬に背を向け、さっさとミニパトへ向う。
「え…たいした事は…」
追いすがる遊馬へクルリと振り向き
「お前の仕事は休む事だ
一人の体調不良で万一の事がある職場なのよココは
責任感じるなら早く治せよ」
遊馬は後藤の言葉で足が止まる。自分の自己管理の甘さと、仕事への甘さを同時に指摘されているような気がした。レイバー隊は常に肉体的にも精神的にも平常・健康で居なければならない。少しの不調によって判断が出来なければ出動先の、その場に居る人命を失う事もある職場なのだ。
騒々しかったハンガーが一気に静かになる。
隊員室へ戻ると遊馬の机の上には、風邪薬と栄養ドリンク剤、そして水が置いてあった。
多分だが、ひろみが用意したものだろう。薬と栄養ドリンク剤は進士のオススメに違いない。置かれていた薬を全て飲み干すと、遊馬は宿直室に向うしか無かった。
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